モンゴル人起業家

モンゴルの若き起業家たち vol1 TYPE株式会社代表取締役 Ravjaa Soderdene

発展途上にあるモンゴルは、色々な問題によって政治が混迷を続けています。

私がここ数年モンゴルへ通う中、「モンゴルを良くしていこう」といったまっすぐな想いを持った若者がたくさんいることに気づきました。

小さくて問題がたくさんあるモンゴルだからこそ、一人一人の活躍で国をも動かしてしまう可能性を秘めています。

将来のモンゴルを担う若者起業家を「モンゴルの若き起業家たち」という題でこのブログで紹介していきます。紹介した起業家に会いに行ってディスカションをするビジネスツアーも企画中です。ぜひモンゴルの青年との交流を深めてください。

TYPE株式会社代表取締役 Ravjaa Soderdene

Ravjaa Soderdene(以下通称のラブジャーと記載)

ラブジャーさんは、孤児院で過ごした時代にチャンスを掴み、日本へきました。2018年1月、日本人起業家から投資を受け、ウランバートル中心部にシェアオフィス Type Business Salonを開業。

http://www.type-bs.com/

Type Business Salon 創業への想い

1990年代ごろ旧ソ連崩壊後、社会主義から資本主義に社会が一変した。

モンゴル国内の経済は崩壊して企業倒産も相次いだことから失業者が急増し失業率は60%ともいわれた。

その影響で、沢山の子供たちが貧困に苦しめられ、子どもへの虐待が社会問題化した。

27年前。ちょうどあのときに生まれた子供が今のモンゴルの若い世代だ。

彼らは社会崩壊とともに生まれ、急激な社会の変革と極度の貧困を経験しながら成長してきた。私もそのなかの一人である。

だからこそ、私達の世代こそモンゴルの未来を創り、変化をもたらすことが出来ると私は信じている。

またそうさせるべきだと確信してる。

モンゴルは現在、深刻な腐敗汚職などの問題により国の成長が進んでいないことはまぎれもなく事実だ。

だが私たちが時代を作り、国を変化させモンゴル国が再度世界に名を知らしめる日はそう遠くないだろう。

私たちの成長とともにこの国の変化を暖かく見守っていただきたい。

 

ラブジャーの経歴

決して恵まれた環境ではなかったラブジャーさんは、日本人の支援を受けて開業するまでになりました。人生の上でどのような経験と選択があったのでしょうか。

孤児院にいたころ

1989年生まれの28歳。

1997年に孤児院の施設に入る。

だが2006年に支援団体がモンゴルから撤退したため孤児院が潰れてしまった。

みんなは親元へ帰されていたが、僕はレスリングの成績が目に留まり

「ラブジャー、日本へ行きたいか」

レスリングチームでメダルをとった時

日本については何も知らなかったが、孤児でお金のない僕が日本へ行けるチャンスなんてこの後得られるはずがない。二つ返事で日本へ行きたいと言った。

日本で高校生となる

日本では、和歌山にある高校の国際海洋高校に入る。全寮制の厳しい高校生活を送る。

高校生時代のラブジャー

高校を卒業してからは大学へ行きたいという気持ちはあったが、学費もなくモンゴルへ帰る飛行機代金もなかった。

モンゴルから日本へ連れてきてもらった人に頼みこみ、入学金を払ってもらって国際観光専門学校へいけることになった。
ホテルでの給料が学費として支払われる学校だった。2年間学びながら必死に働く。

正社員へ

僕が施設にいた頃、支援してくれていた日本人がよくきていた。
警察がまわりを警護しながら一緒にくるぐらい偉い人で、モンゴルの大統領とも会談するぐらいの人だった。
その人とまた会いたいと思い、連絡した。
すると、履歴書を送れと言われて、手紙を同封して送った。
「私の名前はラブジャーです。あなたに昔あったことがあります。あなたが支援していた孤児院にいました。」

すぐに来いと連絡をもらったので、その人が経営するというホテルへ行った。
面接が始まると思っていたら、部屋にはカメラマンと社長であるその人がいた。
社長と僕が握手するところをカメラマンは何枚も撮影していた。
わけがわからず思っていると秘書みたいな人が「社長、採用でいいですか」
「うんいいよ」
日本での初めての正社員が決まった。

ホテルで働いていた頃

社長に連れられて会議室にいくと、おばさんたちがたくさんいて、泣きながら握手を求められた。
またもやわけもわからない。

この方達は、モンゴルの孤児院を支援するボランティアツアーに来てくれていた人たちだった。

孤児院にいた時の私と一緒に写真を撮ったおばさんもいて、泣きながら成長を喜んでくれる。
すごい再開だった。

数年その会社で勤務。色々なことを教えてもらった。
でもそろそろ独立したいなと思い、2012年に退職。

しばらくは日雇いの仕事をしつつ、孤児になってしまった子供達のために古着や勉強道具を送るボランティアをもっとしたいと思い、大阪のナレッジサロンの面接にいく。okをもらい会費を払って色々な人と会い、夢を語った。

その後、違う日本の会社に就職するが、長時間労働でナレッジサロンへも行けなくなり、ストレスにより会社を退社。

日本に残るかモンゴルに帰るか。
日本に残るには正社員になるしかない。でもそれは嫌だ。

姉の交通事故で帰国を決意

事件がおこる。
モンゴルで姉が交通事故。
姉の旦那は亡くなり、妹は意識不明の重体だった。

帰ることを決断。まわりの友達は日本にいるのになんで帰るのと大反対。

でも姉のために一緒にいてあげないとダメ。神様にモンゴルに帰れと言われているように感じて、2015,3.28に帰国。

姉と一緒にゲル地区に住む。
日本の何かに追われる気持ちを断ち切るため、モンゴルで1年間仕事しないとどうなるかを知りたくなった。もう就職はしないことに決める。

1年間超貧乏生活を送ることになった。
お金がなくて家賃が払えないので、家にいることがバレないように窓から出入りして、大家さんから逃げ回る日々。

姉に相談する。
このままだとどうしようもない。
姉の車を売って、やっぱり日本へいくことにした。

日本でビジネスアイデアを思いつく

日本に到着。
日本で仕事をしたいと思い、東急ハンズで仕事のネタを探していると、革製品が目に留まった。
これぐらいの革製品だったらモンゴルで安くて良いのが作れると思いモンゴルに帰国、2016年10月、革製品のTYPE株式会社を創業。

RABAブランドの革製品

日本人実業家から出資を受ける

その後、同い年の日本人ビジネスマンと意気投合し、数百万投資を受け、ウランバートルにシェアオフィスを開業。

 

出資してくれた同年代の日本人実業家 戸田貴久氏と


開業した会社のことや、これからの展望について語る。

 

TYPE株式会社について

「Thinking Young People Education- 若者の思考を教育する

http://www.type-bs.com/

 

創業理念

国を変え、時代を作る

モンゴルの人口の半数以上が二十台前半以下の若者である。 この国に新たな風を吹かしい変化をもたらすのがこの国の次世代を補う私たちの役目である。 政治家になってお金を儲けることしか興味のない若者たちの考え方を良い方へ導き、国に変化をもたらすためにTYPE社は設立されました。

TYPEビジネスサロンは、モンゴルの未来を担う若者たちや人々が学んで成長出来る場所でありたい。将来モンゴルを変える会社や人を出すために創業。

TyPe business salon とは?

ウランバートルの中心地からモンゴル国を活性化させる環境を提供するために作った。

オフィス空間を共有するシェアオフィスを作ることで、創業間もないスタートアップ起業家やフリーランスの方々に格安で仕事ができる場所を提供し、さまざまな分野の人々との出会いと交流によって生み出される新たな価値創造をめざす会員制ビジネスサロン。

なぜTyPe business salon を開業したのか?

私が日本に在留中、大阪市内にあるナレッジ会員制ビジネスサロンに半年間通ったことがきっかけ。私はあの場所でたくさんの人に出会い、多くの夢を語り、すばらしい経験をし成長した。
そこから、ナレッジサロンのように人が学び、出会い、成長する場所をモンゴルの人々に提供したいという思いから始まった。

シェアオフィスとして使ってもらいながら、会員同士の交流や、日本人とモンゴル人起業家との交流会などを開催していく。

才能あるモンゴル人起業家と経験豊富な日本人との接点になり、新しいビジネスが生まれて行くようになることが、TyPe business salonの目標だ。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

ラブジャーさんの熱い想いが伝われば嬉しいです。

また、最初の方に書きましたが、ビジネス交流会を企画中です。

今の所、2018年8月17日(金曜日)に、日本の大学生とモンゴル人若手起業家との交流ディスカッションを行う予定です。

他にもモンゴル人起業家とディスカッションしてみたいなど、ご興味ある方は下記からお気軽にご連絡ください。

 

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