モンゴル人起業家

モンゴルの若き起業家たち vol.2 JP Partners LLC 代表取締役 Janbolat Khaisanai

ジャンボルト ハイサナイです。

モンゴルのバヤンウルギーというカザフ人が9割住んでいる町で生まれ育ちました。民族はカザフ民族ですが、国籍はモンゴルです。

モンゴルと日本のためになることをやりたいと思って色々な仕事をしています。

モンゴル民主化運動を起こした父と、私の半生について書かせていただきます。

 

1985年07月01日

ウランバートルの第一病院で生まれました。

5人兄弟で上から3番目で下からも3番目です。

 

モンゴル民主化運動の英雄である父

私が生まれた時、お父さんは建築現場監督者として働いていました。

1990年、ソ連が解体して、民主化運動がモンゴル中で始まります。

父はバヤンウルギーでモンゴル民主化運動の団体を設立しました。

先代の大統領エルベグドルジや、殺されたゾリグトさんたちと一緒に、民主化運動を行います。

左から2番目が父

民主化が成功し、みんなが出世していく中で、父もバヤンウルギー県のウルギー市の市長を4年務めることになりました。

市政では、バス停、街灯、空港への舗装道路を作るなど、ウルギー市のために貢献。

お父さんは今でもバヤンウルギーの民主化運動団体の長をしています。

馬から落馬して意識不明

小さい頃から乗馬をしていたので乗馬は得意でしたが、12歳の時に落馬しました。

足が鐙に引っかかって100mぐらいひきづられて、意識不明状態に・・・

半日ぐらいかけて車で「黄金の手」と言われる伝統医療ができる人のところまで運んでもらい、治療を受けました。

黄金の手の治療

脳震盪になると、足が片方だけ長くなるため、長い方のかかとを叩いて同じ長さにします。

かかとを叩いたり頭を2時間ぐらいグリグリ触られていると、意識が戻りました。

頭が触られている時はすごく痛かったのを覚えています。

行きの車中は意識不明状態でしたが、帰りは意識があり普通に会話もできていました。

黄金の手さんにはとても感謝しています。命の恩人です。

乗馬が少しトラウマになりましたが、今でも乗馬は大好きです。

 

ボクシングで3度優勝

兄がボクシング選手だったので、小学校3年生からボクシングを習って、モンゴルの全国大会で3回優勝しました。

今はオリンピックチャンピオンになっているバタルオガンにも勝ったことがあります。今でも良い友達です。

日本語に出会う

バヤンウルギーで高校まで勉強した後、大学はウランバートルのモンゴル国立大学へ入学。

日本語通訳者と日本語の先生を目指しました。

 

なぜ日本語を学ぼうと思ったのか

高校まではモンゴル語、カザフ語、トルコ語、英語、ロシア語を勉強しましたが、子供の頃から日本のアニメを見たりして身の回りに日本の有名なものがたくさんありました。

そんなこともあり、日本へ行きたくなったので、大学では日本語の専門へ進むことにしました。

日本に始めて行ったのは2007年です。

東京の渋谷にある日本語学校へ通いながら、朝刊夕刊の新聞配達のアルバイトもやりました。

朝の230分に起きて、配達して、そのまま学校で日本語を勉強して、夕刊を配達して、家で日本語を勉強して、22時頃に寝て、230分に起きるという生活をしていました。

アメリカへ

学校を卒業後、英語を学ぶため2009年からアメリカへ渡航しました。

ちょうどリーマン・ブラザーズが倒産した時だったのもあり、3ヶ月仕事が見つからず大変でした。

ワシントンにある日本レストランで働いたり、寿司店で働いたりして生活をしていました。

アメリカではビジネス英語コースを卒業して2011年にモンゴルに帰国。2006年にモンゴルで出会って付き合っていた今の妻と結婚しました。

付き合っていた彼女から別れの連絡

2009年にアメリカへ行く時に、彼女も一緒に来てほしかったのですが、ビザが下りなかったので一人でアメリカへ。

アメリカ滞在が1年を過ぎる頃、モンゴルにいる彼女から電話がかかってきて「別れましょう。これ以上待てない」

 

その場では「わかった」と返事をしたものの、やっぱり彼女が好きだったので、アメリカでの仕事などを終わらせてすぐに帰る準備を行い、1ヶ月後モンゴルへ帰国。

彼女にはモンゴルへ帰ることを伝えずに、勤務先へいって「帰ってきたよ!結婚しよう!」と電撃プロポーズ。2011年の7月に結婚しました。

今は子供が二人います。

モンゴルでの新生活

モンゴルの西を繋ぐプロジェクトに通訳として参加

モンゴルに帰ってきてからは、モンゴルの西の各地方を道路で繋ぐプロジェクトに通訳として参加しました。

バヤンウルギーとホブドを繋ぐ道路を作りました。

 

1年のプロジェクトが終わった後、HISウランバートル支店でツアーマネージャーとして勤務。

その後、独立。絆ジャパンという会社を日本人と一緒に作り、貿易の事業を始めました。

絆ジャパンで日本のお茶をモンゴルで販売する事業を開始し、「モンゴル厳選茶」というモンゴル人に飲みやすいお茶の販売をしましたが、全然売れませんでした。

タイヤの販売なども行いましたが、またしても全然売れません・・・

そこで新しく人材派遣の会社を起業することにしました。

モンゴル人に日本語を教えて日本の建設会社などへモンゴル人を正社員として送る仕事です。

日本では人手不足が深刻化していたのもあって、年を追うごとに日本へ送り出す人数が増えています。

最近では、正社員として日本へ送り出すことも増えてきたのは嬉しいことです。

日本の最先端の技術を学び、将来モンゴルで役に立つ建築エンジニアを増やして、日本とモンゴルの関係がより深まることを期待しています。

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