ベトナムからモンゴル高原へ、3000km以上を走破して帰ってきた馬のお話

モンゴル人がいかに馬を愛するか?
いや、、、この話はモンゴル馬がいかに主人を愛するか? のお話である。

映画「3匹荒野を行く」では、3頭の犬猫が、はるかはなれた飼い主の元へ、大陸を横断したが
まったく知らぬはずの土地へ、何千キロも旅する、にたような実話は多々あるという。

そんな、おはなしの一つ。

モンゴル人は馬を愛する民族として知られている。
「国名地図 ではアフガニスタンやフィリピンにお株をとられてしまったようだが^^

国名地図


引用:http://i.imgur.com/S2P1G.jpg

「馬飼の人々の国」はアフガニスタン、「馬を愛する」はフィリピン..フィリピンはギリシアの名前フィリッポスから続くフィリップ、ヨーロッパの国王の男性名からであるが
…そう、モンゴルのみならず、ユーラシアのこの地域は元々、宗教や目や髪の色は違えど広大な
「遊牧民族」の住処なのである。
現在でも「モンゴルといえば馬」というのは世界の愛馬者の間でもコンセンサスのある
ところだろう。

馬を大切にする

こういう話もある。 モンゴルでは「ナーダム」と呼ばれる馬レースが毎年大小の規模で行われるが
年一回の国家ナーダムで優勝した馬の主人がいた。 喜びのあまり祝い酒を飲みすぎて、愛馬をトラックに乗せて
帰る中、事故って馬を死なせてしまった。 大怪我をし傷心の彼を、「立派な優勝馬を殺した大馬鹿飼い主なんぞ死刑にしろ」と
本気で議論をもちだす者もいた、ということである。

戦火のモンゴル馬

ベトナム戦争時代。
モンゴルはソビエト政府の勢力下の共和国だった。解体する前のロシアは強大な連邦国家で周辺諸国も
実質支配していた。  しかしその下でもモンゴルの「牧民」は集団農場でなく、草原にすみ遊牧を続けていたのだ。
すこし、歴史をなぞってみよう。….

チンギスハーンの末裔、その部族たちは、中国の清王朝が崩壊し、日本他かつ國に侵略され共産革命が進行する中
中国北部〜ロシアにまたがる地域にいた。
かれらは、共産革命の中心勢力中国の漢民族の支配を逃れるべく、おおむね南の地方は日本に組したり
それからも逃れるべくソヴィエトに組した部族もおり、民族内で分かれていた。
現在では、モンゴルの南の地域は中国に属しモンゴル自治区であり、北部はウランバートルを首都とする
モンゴル国である。

そしてモンゴル共和国はソヴィエトの「指導」下、元時代にできたモンゴル文字を捨てロシアのキリル文字を
もとにしたアルファベットを使うようになっていた。ソヴィエトは遥か離れたベトナムへ、軍事支援を行なっていた。
フランスからの独立支援の名の下に。 振興共産国への、中国との宗主権争いのためともいえる。

ある馬がソヴィエト政府への協力ととしてベトナムへ供出された。

しかし数年後、彼は脱出して、戦火をくぐり抜け、まさに山河を超え、大陸を縦断して主人の元へ帰り着いたのである。

どう道をえらんだろう、爆撃を逃げて泥田に踏み込み、農民に怒られたことがあったろうか? ベトナムから中国南部の
穏やかで山林地帯をぬけ、山岳、大河。

どうやって揚子江を渡ったろうか?

砂漠の国の馬が南の国で水に慣れ、大河を泳いだか、人に紛れ橋を渡ったか?
、、、モンゴルはベトナムの真北である。
ふるさとの方角を知っていて、まっすぐに北を目指したろうか?
いや
中国の西の地域、チベット、ウイグル 地方は、中国に支配されはしたが、、、 モンゴルとも縁の深い、遊牧の伝統を持つ民族の地域。

そう、この大陸のど真ん中は、 遊牧民の世界なのだ。 中国西方の広大なチベットやウイグル、そのすぐ西には
キルギス、カザフ、トルクメニスタンといった国々。そしてトルコ、アラブ世界。
人種も宗教も混在するが、遊牧という文化を共有する世界なのだ。

草原の記で司馬遼太郎がこのとこに触れていた。

ハノイを去って、ソンコイ川沿いの道を北へめざし、ヤオ族居住の山中に入ってゆく。やがて中越国境を越え、はるかに崑崙大山塊にまでつながる山地のふもとを駈けて雲南省昆明に入るのである。そのあたりまでは想像できた。

草原の記 引用

彼は、祖国と似た匂いにひかれて西の山を越えただろうか?

親切なウイグル人に、絡みついたままの手綱をとってもらったりしたろうか?
内モンゴルで、ふるさとと同じ形のテント家の主に、割れた蹄に薬をぬってもらったりしただろうか?

そして、ゴビを越えてあるじのもとへ・・・

ユーラシアの歴史を描いたのは、こうした馬たちの、ひづめなのである。

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